2016年 09月 30日
またまた血天井!養源院へ |
この間、
鷹ヶ峯の「源光庵」で
悟りの窓と血天井を見てきましたが、
やっぱりどうしても気になっていた
もうひとつの血天井がある、
「養源院」に行ってきました。
場所は三十三間堂のお隣。
京都人ですけど、こんなお寺があったとは!
博物館の駐車場に車を停めて向かいます。
この日の空は連日の秋雨前線のおかげで
雨が降って雷まで鳴っています。
おどろおどろしい雰囲気です
さぁ〜 いざ行くぞぉ〜
「あ、写真撮ってくださーい」
あれっ、あ、はーい。
三十三間堂前で修学旅行生さんに声をかけられ
まさかの久々に見た「写ルンです」みたいな
カメラを手渡され、カシャッ!
う〜ん、写ルンですとはな。
なかなかいまどき珍しい。いいね〜
そこへ
「血天井」の看板がっ!
おおおっ!
ここ「養源院」は
1594年
浅井長政の追善のため娘の淀が建てたお寺。
ほどなくして火災で焼失してしまいますが、
1621年に
三女のお江により再建されました。
「淀、お初、お江」
大河ドラマで「江〜姫たちの戦国〜」
でも取り上げられた 浅井三姉妹の、
両親の供養のために建てられたお寺なんです。
養源院とは浅井長政の院号(戒名)なのです。
門をくぐると美しい緑に包まれた石畳
もみじです。紅葉の頃はすごいでしょうね
キンモクセイの香りがただよっています。
ここが本堂です
「今日は雨降りなので中が見にくいです」
「血天井も見えにくいです」
それでも入りますか?いいですか?
って感じの張り紙が。
ご丁寧に。なるほど
ガイドさんが
昭和なラジカセを持って各場所でガチャ!
録音された和尚さんの説明を聞きながら
案内してくださるシステムです。
ふむふむ みんな一緒に順番に回るんだね
といっても、本堂はそれほど大きくなく、
そしてなるべく自然光で、という感じで
とにかく張り紙どおり、とても薄暗くて
まるで数百年前に
タイムスリップしたような気分になります。
(この薄暗さが絵の退色を防いでいるんだね。)
ガイドさん、ナイスキャラで
詳しくてわかりやすい話と
時々みなさんを笑わせながら、たまに、
そばにいた私の腕をガシッとつかんで
「そうだよね」
って同意を求めてこられたりして。 笑
暗く悲しみにどっぷりつかってしまいそうな
場所ですが、そうはならなくて
なかなかよかったです。
ここには
俵屋宗達の杉戸絵があります。
まず迎えてくれるのが獅子の絵です
この裏側には伝説の「麒麟」が描かれています
おすが麒(き)、めすが麟(りん)って言うの知ってた?
この「戸に描かれている」というのが特徴的で、
実際に日常で使う、
絵の描かれた戸を開け閉めすることで、
開けた時に奥の杉戸絵の象が見え、
奥行きを使って印象を残すように計算され、
構図を考えてあるのです。
(本堂は撮影禁止なので
象さんの画像 ↓はお借りしました)
この戸を開けると
奥には象さんが現れます
なにがすごいって、
この杉戸絵はガラス越しですが
レプリカではなく、
すべて宗達の筆遣いが間近で見られる、
本物なんです!
養源院の薄暗さの秘密なのですね。
美術の教科書で見たことがあるかもです。
「琳派400年」のポスターにもなっていました
かっこいいね
私が行った日は雨で、人がたくさんおられたので
こんなふうにはっきり見えませんでしたが
晴れた日に(養源院はここ大事)
誰もいない時にじっくり遠くから見てみたい。
ほんと、日本に京都があってよかった。
この杉戸絵のある廊下で上を見上げると
ここが血天井になっていました。
宗達の絵は
この自刃して命を落としていった武将たちの
英霊を慰めるために描かれたのだそう
血天井を指し棒を使いながら
「ここが顔で腕で足で」と、
ガイドさんが詳しくお話しして下さいます。
本当に甲冑をつけたまま、顔を床につけ、
片足はひざを折り曲げ、
もう片方の足は伸ばした状態で
刀までどこにあったかわかるぐらい、
一人の武将のお姿が鮮明に残されていました。
鳥居元忠さんなのだろうか...
他にも足形や手形もくっきりと
天井に残されていました。
「血天井」ってなに?という方のために
「血天井」とは
1600年、
徳川家康が関ヶ原の戦いで天下をとる前、
家康につかえていた重臣、鳥居元忠が
石田三成ら4万の軍勢を相手に
1800名で伏見城で12日間かけて戦い、
命を落とした380人ほどの兵士たちの
戦いのすさまじさを物語る、兵士の血痕、
元忠の自刃した時の血の後がついた床板を
伏見城から遺構し、供養のため、
のちにお寺の天井に張り替えられたもの。
京都には
「養源院」「源光庵」「宝泉院」「正伝寺」
の4ヶ所のお寺に
この伏見城の床板を遺構した
血天井があるのです。
そして
本堂に安置されているお位牌の中に
お江のお位牌もあります。
もともと秀吉の側室であった淀が建てたお寺。
淀の妹であり、
お寺を再建したお江は徳川に嫁ぎ、
お江の五女である娘の和子は
のちに天皇家に嫁ぎます。
そんな数奇な運命をたどったとされる
お江のお位牌には
天皇家の「菊」
豊臣家の「桐」
徳川家の「葵」
この3つの御紋が刻まれている珍しいものです。
浅井三姉妹の
それぞれの生涯を思い出しながら
お位牌に手を合わせました。
別の廊下は二条城のような、
伏見城から遺構された
「うぐいす張り」の廊下になっていて、
見上げるとまたまた血天井。
なんでも
このヒヨヒヨと鳴くうぐいす張りの廊下のおかげで
秀吉の「香炉」を盗みに入った
あの大泥棒、石川五右衛門が捕まって
三条の河原で油の入った釜に入れられて
処刑されたんだって!
えええ〜〜 だよね。
もう、この養源院さん、
本当にこじんまりとした本堂なんですが、
お寺の歴史に登場する方々がすごすぎです!
格式の高いお寺なのですね
明治時代までは
一般の参拝が許されていなかったそうです。
御朱印をいただきました。
帰りに宗達の白い象さんに見送られ、
こんなにすごいお寺、
見られて本当に良かった〜 と
雷がどっかーん!大雨の降る中、
しみじみしました。
あとに残ったのは、
すさまじい血天井ではなく
浅井長政やお市、三姉妹(ついでに五右衛門)
のことで頭がいっぱいでした。
さっそく
大河ドラマ「江」を借りてきて見ています。
久しぶりにまた見ました
1話で浅井長政がお市と娘たちを
信長のもとに送り返し、小谷城で自刃します。
9月1日が長政の命日でした。
昔、お江が生んだ千姫ゆかりの場所として
伏見の御香宮神社に行ったことがあります。
またお江ゆかりのお寺を
ゆっくりめぐってみたいなと思います。
「源光庵」の血天井はこちら
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by muttan625
| 2016-09-30 14:45
| 御朱印めぐり旅
|
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