2018年 10月 04日
興福寺へ |
「興福寺」は
奈良中心街のど真ん中、
平城遷都と同じく創建1300年を迎えた
法相宗の大本山であり日本を代表するお寺です。
鹿さんたちで賑わっている、
奈良公園の一部も旧境内が含まれている
国の史跡でもあります。
奈良のお寺は歴史も古く規模も大きく、
東大寺の盧舎那仏や仁王像のように
仏像も大迫力です
運慶や快慶を代表する一門などが手がけた
素晴らしい仏像たちもたくさん見られますが
時代の流れの影響を大きく受けた歴史もあります。
明治政府による「神仏分離令」で
廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃく運動)が行われ、
再建が許されるまで、
お寺の貴重な宝の一部は譲渡され、
一時は建物や仏像や境内までも切り売りされて
バラバラの無残な状態に。
そういえば興福寺って
他のお寺のように境内の域を示す
立派な門や、塀などはなく、
歩いてると、気がつけばス〜〜ッと
鹿たちのいる公園につながっています。
それでも、興福寺には
その廃仏運動や火災から守られた
国宝が26、重要文化財が44もあって、
その貴重な国の宝は
食堂の跡地に建てられた「国宝館」で
( LEDライトのおかげで )
ガラスケースなしで間近で見ることができます。
昨年の一年間は、耐震工事のため
休館されていたので見られませんでしたが
やっとまた見ることができます
長い間、
「中金堂」(ちゅうこんどう)の再建のため、
メインの建物は覆われ、
いつ訪れても工事中なイメージがあった
興福寺です。
興福寺には3つの「金堂」がありますが
創建された当初のお堂は存在していません。
今も残る興福寺の最古の建物は
鎌倉時代に建てられた「北円堂」のみなんです。
廃仏運動や兵火、失火などによって
なんと
興福寺は覚書にあるだけでも
100回もの火災にあっているんですって!
この度 再建された「中金堂」は
江戸時代の7回目の火災焼失で
一旦は仮再建されますが、長きにわたって
仮のお堂のままでした。
再建に向けて平成12年に解体され、
現在に至ります。
その時から今回の再建までなんと300年っ!
300年ぶりに
私たちの前に中金堂は天平時代そのままの姿を
見せてくれるんです。
やっとこの10月に落慶法要が行われ、
10月20日から一般拝観が始まります。
現在はその式典に向けての準備の真っ最中で、
新しく建てられた中金堂の前には
パイプ椅子が並べられていました。
クレーン車が入っていたり、
式典用の新たな誘導柵が作られたりして
行った時は 東金堂の前は
なんかもう、ごちゃごちゃ!
最後の工事中感が満載の騒がしい境内でした。
興福寺にあるお堂は
特別な時以外は拝観できませんが、
「東金堂」(とうこんどう)はいつでも拝観できます
ご本尊の銅造「薬師如来坐像」は
室町時代に造られた重要文化財で
同じく白鳳時代の銅造「日光、月光菩薩立像」、
そしてちょっと見えにくいのですが
ご本尊の周りには
12体全てが揃って残っている、
国宝、木造「十二神将立像」(じゅうにしんしょう)
などがいらっしゃいます。
創建当初は床に緑のタイルが敷かれ
薬師如来の浄瑠璃光世界が描かれていたんだそう
東金堂の前に掛かっている「几帳」は
鹿の模様になっていて 可愛らしいね
南円堂にも掛けられていますが、
この布は古いものは取り替えられるそうですが
その古い鹿の几帳は
なんと特別な「御朱印帳」の表紙に使われるそう!
欲しい〜〜!
近々、中金堂の落慶法要で
販売されるんじゃないかな〜?? むふふ
御朱印をいただきました
興福寺では何種類もの御朱印がありますが
これは代表的な御朱印になります。
中金堂の「令興福力」
ご本尊の釈迦如来の印です。
右上に「世界文化遺産」の印が押されています
ここは猿沢池からすぐの
「南円堂」
江戸時代に建てられたもので
お堂は八角形になっています
ここには運慶のお父さん、
康慶が造った仏像があります
額に縦になったような目がある、
「不空羂索観音菩薩像」がおられます
普段は非公開で、毎年10月17日のみ
特別開扉があります。
一年に一度だけです
しかももうすぐ...
私の持っている、
山本勉さんの仏像の本でお姿を目にしていますが
う〜ん実物のお姿を見てみたい!
南円堂の扁額には
ご詠歌が書かれていました。
「春の日は 南円堂にかがやきて
三笠の山に 晴るる うす雲」
御朱印は南円堂と、
そのご詠歌の御朱印をいただきました
お隣の
「一言観音」
ここはひとつだけ願いを叶えてくださいます
一言かぁ〜
そして「国宝館」に行きます
修学旅行の学生さんたちがいっぱい〜〜!
さてさて、ここにはあの
ファンクラブまで存在する、
阿修羅像がいらっしゃいます
が!
しかし私は
まずは大好きな仏像が2体いらっしゃるので
会えるので心ウキウキでした
食堂のご本尊である、この建物の中心にいらっしゃる
国宝「木造千手観音立像」
もういつ見ても感動です
目がまるで涙がこぼれそうなウルウルなんです。
正面からお姿を拝むより、
右の横の下から間近で見ます。ずっとここにいたい!
そして
運慶の息子である康弁が造った
国宝「竜灯鬼蔵」
(仏像の写真は全て山本勉さん「仏像」より)
お茶目なお姿でしょう、
後ろ姿もかっこいいんだよん
ふふふ、と 笑えてきます。
ではではご本尊の前にズラリと並ぶ
全て国宝の「八部衆」と「十大弟子」の像の中に
ひときわ輝いて、
千手観音と向かい合っておられるのが
国宝「阿修羅像」(あしゅらぞう)です!
昔に初めて見た時は意外に小さい!でした
いつ見ても吸い込まれるような憂いのあるお顔、
ほっそり伸びた腕!
かっちょいいお姿です
「八部衆立像」の中のお一人です
少年のようなほっそりしたお姿に
なんとも凛々しいお顔をされています。
身長は153cmですのよ
国宝「八部衆立像」の他の皆さんは
阿修羅以外は守護神なので武装しています。
皆さん身長は150cm前後でスレンダーバディです
頭には 動物を模したかぶり物をされていたり、
頭が鳥だったり
でもイケメン揃いですよ
阿修羅のお隣にいるのは
蛇をのせた雨を呼ぶことができる神
「沙羯羅」(さから)
え?頭に猫かぶってる?って
二度見した
獅子をのせた「乾闥婆」(けんだつば)
音楽を奏でる神
唯一胸から上の部分だけ残された
頭に象をのせた
「五部浄」(ごぶじょう)
天部のリーダーである天の神!かっこいいね
修学旅行の学生さん女子たちが
「誰が好き?意外に背が低い〜」と
ザワザワしておられました ふふふ
今回この国宝館では
「再会 興福寺の梵天と帝釈天」
という特別展示をされていました。
なぜ「再会」かというと
本来、「日光、月光」のように
ひと組の像としてペアで安置される、
梵天と帝釈天ですが
明治政府の「神仏分離令」によって
基金の確保のために
仏像など一部がお寺の外に出されていまします。
顔の部分が破損していた帝釈天も含まれて、
のちに根津美術館の所蔵となりました。
今回その帝釈天が
東京の根津美術館からやってきたのです
いつか二人は
ひと組でまた興福寺に飾られたらいいのに。
11月15日まで
お二人は並んでおられます。
中金堂が再建されましたが、興福寺の工事は
これで終わりではありません
南大門など、
これからも再建される計画です
どんどん昔の姿が再現されますよ〜!
まずは10月20日の中金堂の
一般拝観が楽しみですね〜
国宝の「北円堂」の特別開扉も
20日から始まります
興福寺をじっくりと見て、
ここまできたら... すぐそばの
すれ違う外国人の皆さんも口々に
「ベリーフェイマスモチ」と言って
目指されていた、つきたてのお餅のお店、
「中谷堂」さんへ行かなくちゃね
これ、本当に美味しいね
すぐに食べるのと家で食べるのと、
いっぱい買いましたよ
え?どんな店?って方は...
この袋の絵を見ればわかるんじゃない〜?
( ペタッペタッ、って めちゃめちゃ
高速でお餅つきするおじさんがいるとこだよ)
ああ〜〜✨せんとくん〜〜
これ 1080円かぁ〜〜
ほしい〜〜
でもアカン〜〜 笑
さて ではでは お次は
ならまちの一番南にある
「鹿の舟」さんへ行きます!
楽しみなケーキの時間ですっ
食べてばかりだーーー!
やばーーい!
つづきます
つづきはこちら✨
by muttan625
| 2018-10-04 16:43
| 日本よいとこ御朱印めぐり旅
|
Comments(0)