2018年 03月 02日
吉田松陰ゆかりの松下村塾と松陰神社へ |
萩や城下町、志士たちを語る上で
知っておきたい大切な歴史があります
そうです、明治維新です。
「明治維新」とは
明治時代初期の日本が行った大々的な改革のことで
ペリー来航による開国、
大政奉還、王政復古、廃藩置県など
徳川幕藩体制の崩壊から
明治新政府による天皇親政体制の
中央集権的な統一国家への転換が行われました。
(下で詳しく?解説します 私が。笑)
ここ萩で育った偉人たちは
その明治維新の礎を作った人達で
吉田松陰の「松下村塾」で学んだ多くの志士たちが
日本の未来を変えようと
歴史のおもて舞台に飛び出していきます。
ここは…
「明治維新の震源地」というべき場所なのです。
その「明治維新」が行われてから
今年で150年を迎えます。
おおお〜〜 です。
そんな明治維新の父ともいうべき
吉田松陰が祀られている
「松陰神社」です
中学の修学旅行ぶりですが
「松下村塾」って境内にあったのか!
松陰神社のすぐ前にまず
松下村塾が現れました。
おおお〜〜〜ここだ ここだ〜!
まずは
「吉田松陰」ってどんな人?
ですよね
教科書で学んだけど…
明治維新とどうつながりがあるんだろう、
ここでちょっとざっくりとおさらいです。
(萩の皆さんの前で、「先生」をつけずに
吉田松陰と呼び捨てにするなんて
本当はとんでもないことなんですが、
敬称略でいかせていただきます。すみません)
1830年 萩に生まれます
11歳で藩主 毛利敬親の前で「武教全書」の講義を行い
藩主を感動させる秀才ぶりでした。
19歳で独立の師範となり、
22歳まで「明倫館」で教授します。
20歳のころから日本各地を遊歴し、
南は熊本、東は津軽まで
歩いた距離は1万3000キロにもなりました。
ペリーの艦隊が浦賀に来航した時、
外国の知識を学ぼうと密航しようとして失敗、
連行され萩で謹慎の身となります。
そのころ叔父が開いていた私塾に
「松下村塾」と名付け多くの若者に
孟子などの教えを説き
長州藩を動かす人材を育てます。
しかし
安政5年1858年に
大老 井伊直弼による「安政の大獄」が行われ
幕府に反対する者を次々に処罰していきます。
この時、吉田松陰は
江戸で死罪を言い渡され30歳の若さで殉職します。
これが吉田松陰の周りを囲んだ
明治維新にかかわった偉人達です
(ガイドブック「マニマニ 萩」より)
松下村塾、
中学の時に見た時も
「小さい」って思いましたが
やはり小さい。 笑
二間ほどの小ささです。
この場所で学ばれたんですね、
「講義室」
ここで松蔭先生が教えました
肖像画が掛けられています。
「控えの間」
学んだ塾生たちの写真が飾ってあります。
すごいメンバーです。
境内には松蔭の実家が
松下村塾のすぐ隣にあるんです。
ここで幽閉されていたんだそう。
そして実家の
すぐうしろに「松陰神社」です
学問の神様として全国に名が知られています。
松蔭が神として祀られています。
明治40年に創建されました。
現在の社殿は昭和30年に建てられたもの。
ここには松蔭の言葉が書かれた
おみくじがあるんです!
相方が引いてみます。大吉でした〜〜
あのね、このおみくじ、
「凶」が出た方へ
って張り紙がしてあって、
「凶が出たらそのくじを持って
受付に来て下さい」とありました。
心ばかりの品をお渡ししますって
すごいね!
松陰神社さんの愛を感じましたよ
他にも
とってもかわいい「傘みくじ」があるんです
傘を開く時、
運を開くって願いが込められてるそう。
境内の木々には
あちこちに傘が結ばれています!
運勢は
傘らしく、快晴なら大吉というように
お天気で運勢が書かれています。
おもしろいでしょう
梅の花にも…
かわいらしいね〜〜
ずっと見ていたくなります。
ぶら〜〜ん ふわふわ〜
松陰神社で御朱印をいただきました
「至誠」です すてき!
明治維新、
その後どうなったか?って?
気になった方へ
もう少し歴史のおさらいです。
吉田松陰を死罪にした
井伊直弼は1860年3月「桜田門外の変」
で暗殺されます。
その後すぐに長州藩は京都政界に進出し、
朝廷が攘夷を決定したのち
攘夷派公家と結束し
京都の政治の中心的役割を果たします。
長州藩の思想は
「公武合体」から「尊王攘夷」へと転換。
しかし1863年
山口に藩の中心である藩庁を移し、
高杉晋作が奇兵隊を作り
攘夷を決行するも、攘夷したのは長州藩だけで
失敗に終わります
その後 京都では新選組に抑えられ、
薩摩藩、会津藩にも敗北。
1864年 幕府にいったん降伏します。
しかし 1864年12月
改革派が藩政をかけて長州藩で内戦をおこし、
改革派が勝利します
「抗幕」の思想は再び「倒幕」へ
1866年
西郷隆盛、木戸孝允、坂本龍馬などによる
「薩長同盟」が結ばれ、
薩摩藩と軍事同盟を結びます。
抗幕にむけ大きく前進
1867年
新政府軍は「錦の御旗」をかかげ、
長州藩が幕府に勝利
「倒幕」そして時代は明治へと移っていきます。
「倒幕の密勅」
「大政奉還」
「戊辰戦争」
「明治改元」と様々な大きな出来事が起こります
そして1885年、松下村塾で学び、
尊王攘夷を叫んでいた
伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任します。
最後に ちょっといいお話です。
「明治改元」が行われたのち、
最後に 木戸孝允は藩主である
毛利敬親に「版籍奉還」させるため
他藩主のお手本となるように
まず最初に自分の殿様にお願いにいきます。
日本の行く末を見ていた
毛利敬親はこれをあっさり受け入れ
木戸孝允を激励します。
これに木戸さんは涙したと言われています。
ええ話やないですか〜〜
萩や山口のみなさんが
毛利家をとても大切に思っておられることが
勉強すればするほど よくわかりました。
私の中での「明治維新」
こんな説明でどうでしょう?
(間違ってたら言うてくださ〜い)
はい、もうここ
全部テストに出ますよ〜〜!
お次はそんな萩の皆さんの
大切な存在である
毛利家の廟を訪ねるため
「東光寺」「大照院」へ参ります。
ちょっと今日は脳を使ったんで
これから甘いもんでも食べます。
(使ってなくてもいつも食べてます)
.
by muttan625
| 2018-03-02 14:39
| 萩 山口の旅
|
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